小学生低学年のころ、同級生のマー君の家に遊びに行った。今の子ども達には考えられないことのようだが、当時は珍しくないことだったと思う。
マー君のお父さんは社長さんで、お金持ちのマー君は、子どもの私から見てものびのびと育っていた。その象徴と思えたのが本棚にずらりと並んだ「まことちゃん」のコミックスだった。マー君は棚からそれを取り出し、ナンセンスでお下劣なページを繰っては笑い転げ、お母さんはそれを微笑んで見守っていた。今思うと、天真爛漫で元気いっぱいのマー君はまことちゃんそのもので、お姉さんも美香ねえちゃんに似ていた。
同じころ、「楳図かずお」の5文字を本の表紙に見つけて震え上がることの方が多かった。それは「8時だヨ!全員集合」でテレビ画面の端から志村けんが出てきて映るだけで笑い転げ始めるのと同じくらいにたしかな条件反射かつ本能的なことと言ってよかった。
地下鉄で小学校に通っていたからだろうか、とりわけ「おろち」の中で、少年が大人に電車の中で追いかけられる場面は、恐怖で全身がこわばり、続きを読みたいのにどうしても読み進めることができず、何度チャレンジしても途中で本を放りだすのが常だった。楳図かずお先生が「まことちゃん」の作者でもあることは、にわかには信じられなかったし、自分の中で結びつかなかった。
高学年になって、進学のために転校させられた学校には、教室の後ろの学級文庫に「漂流教室」があった。洪水が襲いかかる校門を子ども達が守ろうとして犠牲になるシーンが頭から離れず、楳図かずお先生は、ますます謎の存在になった。
あれはたしか小5だったか、少し背伸びをしてくだんの「漂流教室」全11巻を誕生日プレゼントに買ってもらい、風邪をひいて休んだ日に一気読みをして、感動に震えた。自分で買ったわけではないが、「大人買い」に等しい初めての贅沢な読書体験だったと思う。
しかし、学級文庫には、今度は「神の左手悪魔の右手」が並び、再び近寄れなくなった。(あれらを並べていたのは誰だったんだろう??)
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それから時が流れ、90年代に長い浪人生活を送る中で、楳図作品に再び出会った。進路選びに何年も悩み、いちどは別の大学にも入ったが、「何者でも無い」ことの寄る辺の無さは強かった。音楽もそうだが、心底良いと思える作品がある時に、そのように感じられる自分のことは信じていられる、というような形で自分を支えていた時期が長くあったように思う。
当時、すでに楳図先生は、主要なコミック作品群を描き上げていて、その偉大な画業を振り返る企画展が催されたり企画本が登場していた時期だった。古本や文庫版から豪華装丁本まで収集、渉猟し、熱心なファンとも交流した。
「まことちゃん」では、自分の中のマー君と出会い、自由な魂の遊びを追体験した。子ども向け漫画というのに、性の奔放さすら感じた。それはまるきり、陰湿なエロ事師たちを笑いとばすようなエネルギーのかぎりない発散・放出であって、楳図先生は、いつまでも輝く太陽のように思われた。
「洗礼」の高度なサイコロジーには何度読んでも唸らされるし、「おろち」がどんな作品であったかも、大人になって初めて正しく知ることができた。「神の左手悪魔の右手」を読めば、楳図先生の精神にはタブーが全く無いことがわかる。当時完結して間もなかった「14歳」は、この世界と宇宙全体を描く、とてつもない作品だ。
しかし、そんな中でも、楳図作品に再び触れるきっかけとなった「わたしは真悟」は別格だ。3浪目のある日、自宅から近い本屋でたまたま第1巻を手に取った。同じ棚に再び補充されることはついぞ無かったし、本屋はつぶれた。これは愛と奇跡についての物語だが、私にとって、この作品との出会い自体が奇跡と思える。運命であり、今につながる膨大な日々の連なりであり、何度振り返っても、あの日、本棚の前に立った心細い自分に立ち戻る。
何かと出会い、何かを得て、何かを失っても、たしかに残るもの。ーーー「わたしは真悟」について何かを言おうとするならば、こうだ。
楳図先生は、生涯独身だったはずだが、いま話題のLBGTQなどとは無縁だと思う。男や女の機微には、常人では計り知れないほどの繊細さと感受性があったのだろうし、天才の知性と強烈な美意識があったために、世俗を超越していたように見える。楳図先生の前では、私はひとりの子どもに戻る気がする。楳図先生は、お父さんであり、お母さんのようだ。
小学校の卒業式で、卒業証書を手に「僕の夢は、漫画家になることです。」と宣言した私だったが、その時に憧れていたのは、少年ジャンプの作家の先生達だった。楳図かずお先生の存在は、それとは全く違っていて、憧れたことすら無く、多くは恐怖し、畏怖していたわけだが、振り返ってみると、こんなにも私の半生のさまざまな時期に影響を受け続けてきたことに驚かされる。
近年、楳図先生のニュースといえば、世界的な評価がどんどんどんどん高みにのぼっていくものばかりだった。「わたしは真悟」がアングレーム国際漫画祭で「永遠に遺すべき作品」として受賞したことなどは、まことに喜ばしく、誇らしかった。作品にふさわしい評価でもある。さらに、それを発展させ、堂々と芸術として続編の絵画群を発表されていて、感嘆するほかなかった。
そして、ついに誰も手の届かないところまで到達し、旅立たれた。悲しいが、受け入れる。
人生の中でいちどは読むべき、というと押しつけがましくなってしまう。「わたしは真悟」は、出会うべくして出会う作品とも言えます。楳図先生が願ったように、いつまでも読み継がれることを祈ります。